看板 初代天皇 神武天皇
看板 神武天皇の母 玉依姫命
看板
 楞伽院山荘に関する今昔の写真を貼って古を偲ぶ事と致しましょう。
 この絵図は、1821年 奥村玉蘭によって描かれた筑前名所図会第4巻に掲載されている、宝満山山頂とその当時の楞伽院の様子です。

 山頂には岩場の上に神殿、拝殿が描かれ、現在の楞伽院山荘の広場には座主坊(楞伽院)の建物が描かれている。
 女道から登って来た時に上がる階段と石垣が描かれ、現在の状態と全く同じである。

 玉蘭は博多の藩御用達醤油屋の3男であったが訳あって大宰府に庵を結んで隠遁する。
 この庵に仙崖和尚揮毫の額を掲げて考古の学を楽しんだ。
 玉蘭は10年の歳月をかけ、筑前の国を歩き、”筑前名所図会”全10巻を完成させた。

 久留米市図書館で閲覧させてもらいましたが、古の博多の町が描かれて興味深い本でした。
 
座主坊楞伽院の図

昔の上宮
 
子供の頃”海幸彦山幸彦”の話を聞いた事はないだろうか? 二人は富士山の御祭神、木花咲耶姫の子供である。兄は漁師、弟は猟師。ある時お互いの道具を交換し弟は魚を釣りに出て釣り針を失くす。
 ある老人に教えられて海神の館へ行き、”豊玉姫”と出会う。釣り針も見つかり以前の生活に戻りましたが、姫にあなたの子供が出来ましたと言われ、海辺に産屋を建て、姫は子供を生みましたが、産屋を見てはいけないと言われたのに見てしまいました。

 姫は怒って海へ帰ってしまいました。残された子供の養育をする為、妹の”玉依姫”が使わされたのです。
 この子供を”鵜葺草葺不合命”と言い、後成人されて玉依姫と結婚されて”神倭伊波礼毘古命”が生まれます。
この方が初代天皇の”神武天皇”です。

 神武天皇の母神を祀ったのが 竈門神社の上宮です。
この上宮は昭和27年に消失してしまいました。

 これは大正時代のもので、楞伽院山荘での登山(参拝)記念の集合写真です。

 後方には山頂の岩場がはっきりと見え、また左側には休憩小屋とおぼしき藁葺の小屋が見えます。

 上宮から馬の写真まで竈門神社から提供を受けた写真です。すべて白黒写真です。
AI技術で白黒写真をカラー化して頂くサイトを利用してカラー写真にしています。
 
 宝満山の歴史をもっともっと知りたい方は以下の本が役に立つと思います。

 ○ ”宝満山歴史散歩” 著者 森 弘子
 ○ ”祈りの山 宝満山” 写真 栗原隆司
   文 森 弘子

 
昔の登山

 先頃、立派な注連縄が張られた礼拝岩ですが、大正14年10月の写真です。
 礼拝岩の後ろには社務所が見て取れます。

 裏書きに大久保竈門宮司や西高辻男爵の文字が見えますが、さてどの人でしょう? (西高辻とは天満宮宮司のお名前です)

 和服、背広、ネクタイ、マント、わらじ、地下足袋、カンカン帽、ゲートル 時代を感じるスタイルです。

 岩に彫り込まれた”肇祉”はなかなか読めませんね。ちょうし、しをはじむと読みます。
 年の初めに当って幸福をひらきはじめること。祉は福の意である。とネットに書いてあります。

 山頂に行ってもなかなか気付きにくいのですが、是非幸運を祈りましょう。

 
キャンプセンター

 楞伽院山荘に馬はちょっと想像できない風景です。 上宮の社が見えない感じですので、再建工事の荷揚げに登って来たのかも知れません。

 今でこそ山の荷揚げはヘリコプターを使いますが、それが無い時代は人力か馬、牛を使ったと思いますので、登山道は今以上に幅広く歩きやすかったのかも知れませんね。

 簡単に歴史を振り返れば、簡単にです。
飛鳥時代に太宰府の鬼門除けに山頂に八百万の神を祀る。 玉依姫が示現し社殿を造営する。

1658年平石坊弘有が衆頭となる。
元禄の頃、座主楞伽院が建設される。
1871年修験道禁止令で山伏は山を下る。
1912年上宮造営落成。
1927年上宮焼失する。
1957年上宮神殿竣工祭。(現在の社)
馬

 正面の男道を登って来ると、上宮へ登り上がるラストの階段があります。
 階段の左側に石造りの立派な手水鉢があり、そこから奥を覗くと上宮前の広場の基礎となっています。
 コンクリートの殺風景な何も無い空間ですが、以前はこんな手作りの避難小屋がありました。

 昭和37年に出来たと聞いていますが、”西鉄福岡山岳部山頂小屋”の看板が見えます。
 しかし、板を剥がされ燃やされて3年ほどの存在だったと聞いています。

 この小屋の存在を知っている方はおそらく古希を迎えられているのでしょう。
上宮小屋

初代小屋
 
 この写真は、昭和43年(1968)に建設された初代の小屋で建設現場で使用するプレハブで作られています。

 昭和63年当時の写真で、今も春先に咲く山桜が右側に、ベランダ横に大きく枝を伸ばしている楓も弱々しい姿です。

 中央の玄関を入ると、左側にかなり広いコンパネ張りの休憩室、右側が資材倉庫と管理室となっていました。

 建設以来20年を経たこの当時は、雨漏りで金属部分やコンパネが腐食して使用に耐えられなくなり取り壊しの運命となりました。

 現在のログハウスが30年になりますので、このプレハブ小屋を使用した思い出がある方は、40歳を超えてるのだと思います。

 この写真は、現在のログハウスが完成した日のものです。

 昭和63年11月から始めた小屋建設ですが、平成元年(昭和64年)3月26日落成式を迎えました。

 まだログ材も屋根材もベランダもピカピカの一年生です。

 この小屋のログ材は日田郡森林組合の製品で、設計図通りにカットをしてくれる当時としては画期的な物でした。

 手順通りにログを積み上げていけば小屋の外観が出来上がり、後は屋根を張れば完成する、素人に優しいすぐれものです。
 ピッケルをトンカチに持ち替えて、それこそ沢山の方々の協力で出来上がった小屋です。

 あの雪の降る中で ”俺も頑張ったぞ〜!”と感慨にふける方も多いのではないかと思います。
ログハウス

ログハウス
平成20年8月、バイオトイレが設置された。その電源として小屋の屋根に18枚のソーラーパネルが取り付けられた。

雪とログハウス
平成20年11月20日、楞伽院山荘の楓は紅葉の盛りを迎えていた。積雪と紅葉が同時に見られる事は少なく素晴らしい景色であった。

雪とログハウス
平成23年の冬は雪が多かった。22年の12月末から振り始めた雪は止む事を知らず標高800mの九州の山とは思えない1mの積雪となり、小屋も広場もトイレも雪に埋まった。

難所ヶ滝
宝満山の冬の名所である難所ヶ滝、寒気がしばらく続くと難所ヶ滝は氷に覆われて岩場は絵も云われぬ風景となり、沢山の登山者で埋め尽くされる。